弊社会長・松尾八伸に創業から今日までのお話をいろいろおうかがいしました。

いろいろなものを作り続けた子ども時代

松尾:私は幼少の頃から、探求心が強く、モノ創りに大変興味をもっていました。……と言えばカッコいいのですが、昭和24年生まれの私が物心ついて遊んでいた時代は、遊ぶオモチャも無い時代です、いや貧乏でおもちゃを買ってもらえなかったが正解でしょうか?テレビは出初めのころで自宅にあるわけもありません。自分が遊ぶためのモノをいろんなところから寄せ集めて何かをつくろうとしていましたね。

子供ながらに「電気」ってすごい!って思ってて、大人になったら電機屋になろうって思っていましたよ、いろんなものを作りすぎて何をつくったかあまり覚えていません(笑) そうそう、中学生時代に母親のためにと「米あらい機」を作りました、扇風機からモーターを取り出してね、、、楽しく早く正確にモノをつくろうって思っていました。

工業高校時代に60フィート・6人乗りの船を作りました。設計して材料をかき集めて結構時間かかったと思います、処女航海は大成功でしたよ、ホントです(笑) 機械や電気にものすごく興味があって学校を卒業すると電気関係の会社に就職しました。入社と同時に、造船所のクレーンの無線化工事や産業機械などのメンテナンスを任されて頑張っていました。

六光電機工業所の創立

松尾:昭和55年(1980)六光電機工業所として創立しました、私が30歳の頃です。
私の考えは、「危険な仕事は機械化すること」、「利益だけでは、モノ創りをしたくない」、「納期は必ず守る」、「自然を壊さない大切にする」です。クローラ自走式自動茶積機の開発は楽しかったですね、実用新案も考えました。昭和57年7月、総雨量572mmの降雨を記録した長崎大水害では、雨水をくみ出すポンプの修理で駆けずり回りもしました。連日徹夜でした。

国際交流の一環として、県内の中国人留学生とともに、日中交流フェスティバルを開催しました。中国人留学生を今までに数人会社に就職させて私達の技術を習得させました。その彼らは中国本土に帰りいろんな企業で頑張っています。

展望とプライベート

松尾:数年前から研究していることがあります。今までの生産設備の設計施工のノウハウを活用して「野菜工場」を研究しています。異常気象が今後も進行して野菜の生育に支障をきたすと言われています。そこで、安全で安心な野菜を安定供給したいと考えて日夜研究に取り組んでおります。

趣味は仕事もですが、遊ぶことです(笑)。若い頃は釣りでしたが、今はゴルフですね。
 

※ 写真:上から、子供時代の松尾(右奥) / 高校時代に試作した船・高校時代の友人たちと(右)・初めて買った車スバル360 / クレーン無線化に取り組む松尾 / 防霜ファンの施工(会社創業当時)

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